第2話 就職
店の中に入って真っ先に目に入ってきたのは、天井から吊された色とりどりの植物だった。葉の緑だけでも、くすんだ深緑から艶やかな黄緑までさまざまな色がある。他にも鮮やかな赤や黄色の葉や花、繊細な白い枝や毒々しい紫の蔦などもあり、部屋の色彩を豊かにしている。それらは全て薬草のようだ。
入り口の向かいの壁には薬棚が作り付けてあり、すべての引き出しに薬の原料の名前が几帳面にラベリングされている。薬草だけでなく、薬効のある鉱物や動物由来の物も扱っているらしい。
店の奥を見れば、どっしりとした木製のカウンターがあった。作業台も兼ねているのか、何らかの器具が置いてある。
店の真ん中にはよく磨かれた木製のローテーブルがあり、その両サイドには焦げ茶色のカバーが掛かったソファが二脚、向かい合うように置いてあった。テーブルの上には小さな花が生けられている。
その脇を通ってレオナルドは奥の方のソファにぼすんと体を沈めた。金髪美人もその隣にすとんと腰掛ける。一瞬、レオナルドは立ち上がりかけたが、美人はそれを制するような仕草をした。
「貴女もどうぞ」
美人はアリエルにも座るよう促したが、アリエルは少し戸惑って、レオナルドを見た。
「お前もキョロキョロしてないで座るといい」
レオナルドにも促されたので、アリエルは手前側のソファの脇に鞄を置き、隅に腰掛けた。思っていたよりもふかふかで深く沈んでしまい、背もたれに全身を預けることになった。
不格好ながらもアリエルがソファに座ったのを見て、レオナルドは姿勢を起こした。つられてアリエルも背筋をなんとか伸ばそうともがく。
「さてと。まずはお前がしでかしてくれた事についてだが」
レオナルドはそこで一度言葉を切ると、テーブルにピンク色の小瓶を置いた。瓶は宝石やら金細工やらでごてごてとしている。
「この瓶の中には、ある貴族からの依頼で作った若返り薬が入っていた。俺は、これの配達に行く途中だった」
金髪美人も瓶を見る。
「それって、オーガスタス公爵夫人の依頼よね?」
「そうです。それで赤毛のお前」
真っ黒な瞳で、レオナルドがじろりと睨む。
「ぶつかった後、俺にタオルを貸そうとしただろ」
「え、ええ。元々黒髪みたいだからちょっと自信無いけど、髪が濡れているように見えて。それから、何だか甘い香りがしたような気がしたんだけど」
「それが若返り薬だ。本来は十倍に希釈して少しずつ飲むものなんだが、原液のまま直に浴びたせいか、結果はご覧の通りだ」
レオナルドは眉間に皺を寄せた。
アリエルは目を見開いて少年を見た。彼とぶつかった時、最初は大人に見えたのは気のせいではなかったのだ。これほどに効果のある若返り薬を作るとは、玉都一の薬師というのは誇張でないらしい。
「材料はまだあるから、作り直すこと自体はできるが、その材料も安い物ではなくてだな……」
レオナルドはアリエルに含みのある視線を投向けた。アリエルははっと息を飲む。
「もしかしなくても弁償……?」
鞄の中の薄っぺらな財布にそろりそろりと手を伸ばす。
「あの、あんまり手持ちないんですけど……」
「そもそも、田舎娘に払える金額じゃない」
レオナルドがきっぱりと断言するので、アリエルは両手で財布を抱えて縮こまる。レオナルドはそんなアリエルを一瞥して瓶を置き、ため息を吐いてソファに背もたれた。
「大人しく両親に事情を話して金を出してもらうんだな……そういえば、お前、両親はどこにいるんだ」
今になって気づいたのか、レオナルドはハッとして跳ね起き、アリエルを見た。この状況は、年頃の娘を問答無用で連れ去ったようなものだ。
「えーっと、両親なら汽車を乗り継いで二日くらいかかる田舎に居るはずよ」
アリエルは視線を泳がせた。レオナルドの眉間の皺が深くなる。
「まさか、お前、さては家出娘か」
アリエルはソファから跳ね上がった。
「家出なんかじゃないわ! 私、もうじき十六だし、そろそろ独り立ちの時期かなって、元々考えてたのよ! それで、ちょっと家に居たくない事情ができちゃって、タイミングもいいから玉都まで来たのよ!」
「それでお前、あんな所にいたのか! 観光客にしては変な場所に居ると思った!」
アリエルとレオナルドがぶつかったのは工房街である五時通りの少し北側、四時通りとの間にある細い裏路地だ。ショップも併設するような大きな工房の集まる五時通り沿いならまだしも、小さな工房ばかりの裏路地まで足を伸ばすのは、元々そこに目的がある者か、なかなか変わり者かのどちらかである。
アリエルはむくれて、ドサッとソファに座り足を組んだ。
「観光じゃないもの。駅前で五時通りの工房で働いているっていう人に会ったの。それで、私もここに来れば仕事が見つかるんじゃ無いかと思って」
その時、今まで黙っていた金髪美人が不意にふふっと笑みをこぼした。
「貴女、仕事を探して玉都に来たのね? それって、もしかしてお互いにとってとても都合のいいことではなくって? レオは彼女に弁償してほしい。貴女は玉都で仕事が欲しい。ね、利害が一致しているわ」
「家出娘を雇えと言うのですか?」
レオナルドの眉間の皺が深まり、こめかみを揉みほぐしている。
アリエルは「家出じゃない」と言いつのろうとしたが、白魚のような指を唇に当てられて口をつぐんだ。美人は絹のような金髪をさらりと流して微笑んだ。
「レオ、貴方にとってもすごく良いことのはずよ。よく考えて。今の貴方は誰が何と言おうとも子供の姿なのよ。大人の貴方なら問題にならなかった事でも、その姿では困ることがきっとたくさんあるわ。商売の上でも、日常生活の上でもね。到底今までと同じように働けるとは思えないわ。薬師としての評判にも影響が出ないとも言えないわ。でも、彼女がお手伝いさんになってくれたら、いろいろフォローできることがあるのではないかしら」
ふむと顎に手を当て、何か考えている様子のレオナルドの眉間の皺が緩んだ。
確かに、アリエルにとっても願ったり叶ったりだ。玉都で暮らしていけるなら仕事など何でも良いと思っていたが、ここは薬局。アリエルは目を輝かせた。
「ちょうど良いわ! 私、うちで家事も一通りしてたし、薬の知識も少しはあるわ!」
勢い込んで乗り気になったアリエルに、レオナルドは目を丸くした。
「やけに乗り気だな。そのうち親が心配して探しに来るんじゃないか? 誘拐犯扱いされるのは御免だぞ」
「家出じゃないって言ってるでしょ。もしうちの両親が本気で私を連れ帰る気なら、とっくに連れ戻されているわ。玉都まで辿り着けてるってことは、『後は好きにしろ』ってことよ!」
アリエルの熱弁っぷりにレオナルドは目を伏せ、観念したように、はぁと小さく息を吐いた。
「そこまで言うのなら、しばらくうちで試しに雇ってやるか」
「ありがとう! 働くのは初めてだけど一生懸命頑張るわ!」
「おい、いきなり不安になるようなこと言わないでくれよ。もし、あまりにも使えなかったら速攻で追い出すからな」
「大丈夫よ、任せちゃって!」
アリエルは、胸を張った。レオナルドは、すでに何かを諦めたような顔をしている。
「それじゃあ『お前』と呼び続けるわけにもいかないからな、名前を教えてもらおうか」
「アリエルよ。アリエル・エイプリル。レオナルドさん、よろしくお願いします!」
「俺のことはレオでいい。クララ様もそう呼ばれるしな」
そう言って、レオナルドは金髪美人の方を見た。アリエルもつられてそちらを見る。
「クララ様?」
そこで初めて気づいたかのように、金髪の美人が、あら、と短く声を漏らした。
「私ったら自己紹介してなかったわね。クララは私よ。よろしくね、アリエルちゃん」
「よろしくお願いします。ところで、なんで『様』なんですか?」
今度はレオナルドが短く、あ、と声を漏らした。何かを言い淀む様子だったが、クララがにこりと笑って説明してくれた。
「レオったら口が悪いくせに、一応私が客だからって『様』をつけるのよ。私はもっとフランクに接してくれていいって言っているのに」
「そういうわけにも、いかないでしょう……」
レオナルドの眉間の皺が深くなった。
「ということは、クララ様はお客様だけど、ここに住んでるってことですか?」
入院という可能性もあるし、元気そうに見えたとしても、何か傍目には分からない不治の病を患っているかもしれない。
「あら、どうしてそう思ったのかしら?」
当のクララは、きょとんと意外そうな顔をした。
「だって、家主のレオさんが出かけていたのに、家の中に居たわけですし」
より正確に言うと、どうも家主不在の間に勝手に入り込んで、レオナルドの帰りを待ち構えていたようだ。
「ああ、うふふ。いいえ、ここに住んではいないわ。最近は毎日のように通ってはいるけれど。これからアリエルちゃんとも顔なじみになるわね」
うふふ、と微笑むクララの後ろで、レオナルドがため息をついた。もしかしたらクララは、いろいろな意味でレオナルドの頭痛の種なのかもしれない。
「それから、アリエルちゃんも『様』なんて付けるの、よして? 敬語もね」
実に愛くるしい笑顔だが、よく見ると世の権力者の二、三人ほどを撃墜せんばかりの迫力がある。傾国の笑顔が目の前に迫ってくるとむしろ、怖い。この笑顔に睨まれても様付けし続けるレオナルドは、どうやら相当に強い精神力の持ち主だ。
「……わかったわ、クララ」
アリエルの精神力は強くはなかった。クララは満足したように大輪の笑顔を咲かせて、ソファに再び座った。
「しかし、住む場所か」
ふむ、とレオナルドが呟く。
「アリエル、お前住む場所はどうするつもりなんだ」
アリエルはぽかんとした。
「お手伝いさんなんだから、ここに住み込みになるんじゃないの?」
「考え無しか! そもそもお前、年頃の娘だろう。男と一つ屋根の下で二人きりとか、気にならないのか」
気になるもならないも、アリエルから見たレオナルドは子供の姿である。気にする方が変なのではと、アリエルは思った。一方、クララは両手を頬に当てて楽しそうに黄色い声を上げた。
「きゃー、レオったら、そんな形で何をしようというの?」
「クララ様は黙っててください」
嬉々として茶々を入れてきたクララを、ギッとレオナルドは睨んだ。もっとも、レオナルドは実年齢は青年だろうが八歳児程度の外見なので、怖いかというと、むしろ小さい子が癇癪を起こしているようで微笑ましく見える。言葉遣いはさておき、二人の仲の良さが伺えるようだ。
アリエルは少し考えた後、一つの答えに辿り着いた。
「もしかして私、ものすごいお邪魔虫だったかしら。それなら、どこか近くで家を探して来るわ」
アリエルがソファの脇に置いた鞄を取ろうとすると、二人は同時に声を上げた。
「変な勘ぐりはやめてもらおうか! ただの常連客だ!」
「違うわアリエルちゃん、何てこと言うの。貴女が出て行ってしまったら、可愛い女の子と二人暮らしって舞い上がったレオが可哀相だわ!」
「貴方こそ何言ってるんですか!」
レオナルドはぎょっとしてクララを睨んだ。クララの方は全く堪えていないようで、演劇めいた悲しみ方をしている。
「よよよ、隠さなくても分かっているのに。……さて、部屋なら二階に物置になっている部屋がいくつかあったでしょう。そのひとつを片付ければいいじゃないかしら」
クララはけろっと態度を変え、再び笑顔を見せた。アリエルがここに住むことは、もはや決定したようだ。
「あー、まあなんだ。確かに部屋なら空けられるから、お前が嫌じゃないって言うなら、かまわんぞ」
レオナルドは頭をガシガシと掻いた。
「私はそのつもりになっていたもの。もちろん嫌だなんて言わないわ」
アリエルの返事に、レオナルドはため息で応えた。
「わかった。今、部屋をひとつ空けてくるから待っていろ」
そう言って、レオナルドは店の奥に消えていった。