第3話 魔女

 アリエルとクララはソファに座ったまま、とりとめの無いお喋りをしながらレオナルドが戻るのを待っていた。
「大分時間が掛かっているけれど、大丈夫かしら。そろそろお昼の時間だけれど」
 クララがそう言って店の奥を振り返ったちょうどその時、奥に掛かったカーテンの隙間からレオナルドがひょいと顔を出した。いつの間に着替えたのか、服がぶかぶかではない物になっている。
「服が子供サイズになってる」
「そりゃ、あんな袖も裾もずるずる引きずったままだったら危なっかしいだろ。そんな事より部屋、片付けてきたぞ。上がってこい」
 それだけ言うとレオナルドはまたカーテンの向こう側に引っ込んだ。
「じゃ、行きましょう」
 クララに促され、アリエルも鞄を片手にカーテンをくぐった。
 カーテンの向こう側は、几帳面に整えられた薬局とは違って、生活感にあふれていた。雑多に物の置かれたキッチンやらバケツやら細々したものが置きっぱなしの勝手口らしき扉やらが視界に入る。
「こっちだ」
 右上の方からレオナルドの声が降ってくる。階段はカーテンを抜けてすぐ右手にあり、レオナルドはすでに上の階まで上がっていた。アリエルも登ると、クララも後ろから付いてきた。
 二人が上ってきたのを確認すると、レオナルドは階段から見て一番手前にある扉を開けた。
「ここを好きに使え」
 アリエルに与えられたのは東と南の二面に窓のある小さな部屋だった。アリエルは運んできた鞄を部屋の隅に置き、天井や窓の外を見回した。日当たりも風通しもよい、心地良さそうな部屋だ。
「本当にこの部屋を使って良いの?」
「ああ、どうせここも物置くらいにしか使っていなかったからな」
 レオナルドは窓を閉めながら答えた。
「二階にあるのは、あと物置部屋が二つと、それから一番奥が俺の部屋だ。まあ、だいたい俺は下に居るから用がある事なんてないだろうが」
「物置部屋が二つもあるの」
「ここを入れたら元々三つだな」
「何をそんなに置いてあるの」
「気付いたら、物があふれているんだよなあ」
 レオナルドが腕を組み何故だと首を捻っていると、後ろから付いてきたクララもひょっこり顔を出した。
「でもこの部屋は全部片付けちゃったから何にも無いわね。アリエルちゃんがここで暮らすならベッドと棚くらいは必要でしょ」
「ベッドと棚か……物置部屋に使そうな物は、無いな」
 レオナルドは顎に手を当て何か考えるそぶりを見せた後、アリエルの方に顔を向けた。
「裏庭に木材があるから、それを適当に持ってこい。さっき階段を上がる前にドアが見えただろう。あそこから裏庭に出られるから」
 それだけ言うと、レオナルドはさっさとアリエルの部屋から出て行ってしまった。
 アリエルは目をぱちくりとさせ、クララを見た。
「まさか、レオさんが作るの?」
「トンカチやらノコギリやらを使って?」
 クララにとってはおかしな事だったらしい。その様子を想像したらしく、クララは堪えきれずといったように吹き出した。
「ふふっ、いえ、彼は器用だから何でも作ってしまいそうだけど。まあ、考えがあってのことには違いないから従っておきましょう。手伝うわ。まずは裏庭へ案内するわね」
 コホンと咳払いをして澄まし顔に戻ると、クララは部屋のドアを開け、アリエルに出るようにと促した。

 階段を降りると、クララは迷わず先ほど見えた扉に手をかけた。
「アリエルちゃん、きっと驚くと思うから心の準備をしてね」
そう言うとクララは含みのある笑顔で扉を開き、アリエルを外へと促した。
 アリエルは庭を見た瞬間、自分の目を疑った。
 まず広さがおかしい。来た時にちらっと見ただけだが、それでもあの外観の店の裏庭がこんなに広いはずがない。もはやそこそこ広い畑である。異様に広い裏庭には様々な薬草が分類され、整然と何本もの畝に植えられている。何故気づかなかったのかという程の大木や、小規模とはいえガラス張りの温室まである。壁際の棚には、珍しい草花の鉢植えも整列して置かれていた。
「アリエルちゃんは薬草に詳しいって言っていたわね」
 クララがしてやったりといった顔で話しかけてきた。
「これだけたっくさん種類があると、胸を張って詳しいだなんて言えないわ。うちでも母が薬草を育てていたけど、こんなにたくさんの種類が一度に生えてるのは、初めて見たわ。じゃなくて、この広さおかしくない?」
 遠くの方など、もはや緑のもじゃもじゃにしか見えない。
「うーん、私は詳しいことはよく分からないのだけど。今度、スペースの有効活用のコツを、レオに聞こうかしら」
 いや、そういう問題じゃないでしょうと言葉を失っているアリエルを尻目に、クララは手前にある物置らしき場所の戸に手をかけた。
「ん? 開かないわね」
 しばらくクララは扉をガタガタさせていたが、建て付けが悪いのかなかなか開かない。
 アリエルは気づいた。クララは言動も身なりも、いかにも貴族のお嬢様といった風だ。もしかしなくても非力に違いない。対してアリエルは田舎育ちだ。男の人ほどではないと言え、腕っ節には多少の自信があった。
「クララ、私が……」
 開けるわ、と続けようとしたアリエルの目の前で、クララはすっと扉の前から少し下がった。そして、すらっとした右足を持ち上げ、あろうことか木戸に蹴りを入れた。バキッと大きな音を立てて戸が真っ二つに折れる。
「オホホ、お見苦しいところを」
 若草色のスカートについた木くずを払うと、クララはスカートをつまみしずしずとお辞儀した。ぽかんとするアリエルを尻目に、クララは物置の中にあった木材をひょいひょい抱え始める。
「……それ、大丈夫なの?」
「大丈夫よ、レオが直すわ。はい、アリエルちゃんもこれを持って」
 反論を許さない笑顔で、クララは木材をいくらかアリエルに差し出した。
「……はい」
 アリエルは受け取りながら、クララの足をまじまじと見た。スカートが長いので、瀟洒な靴しか見えない。きれいに磨かれているが、先程の蹴りで付いたらしい傷が、右足の方にだけある。
「扉もだけど、クララの足も心配だわ」
「あら、ありがとう。丈夫だからこれくらい平気よ」
 大丈夫だと言うようにその場でくるりとステップを踏むと、鉄壁の笑顔でアリエルに木の束をもう一つ押しつける。アリエルがそれを受け取ると、クララは大きな木材を優雅に抱えた。
「とりあえず、これだけあればいいのかしら。どのくらい、を指示しなかったレオが悪いのよね。まあ、足りなければまた来ればいいわ。アリエルちゃん、戻りましょ」
 クララは両腕に木材を抱えているにも関わらず器用に勝手口を開け、アリエルに入るよう促した。
 アリエルは、とりあえずクララには逆らうまいと思った。

 部屋に戻ると、アリエルは室内の異様さにぎょっとした。アリエルの荷物を置いた部分だけ残して床を覆い尽くすように白い布が広げられ、その中心にはいったいどこから調達してきたのか、大量の麦わらと、これまた大量の羽毛と、こんもりと積まれた生成り色の布が置いてある。
 その側にレオナルドが立っていた。
 アリエルとクララが戻ってきたのに気づいたレオナルドは振り返って、傍らの山を指さした。
「戻ってきたか。じゃあそれをその辺に置いてくれ」
「……これは何事なの?」
「まあ、ちょっと外で待っていろ」
 若干引き気味のアリエルに、レオナルドは苦笑いした。
 アリエルとクララが布のそばに木材を置いたのを確認すると、レオナルドはアリエル達に廊下に出ているように言った。
「覗くなよ? クララ様、申し訳ないですがアリエルをお願いします」
 ふたりを部屋から追い出すと、扉を細く開けてもう一度念を押す。
 アリエルが「はーい」と返事すると、レオナルドは扉を閉めた。
「……『覗くな』って言われたら、覗きたくなるのが人間ってものよね? だいたいここ、私の部屋なのよね? 何するのかくらい、確認してもいいわよね?」
 クララが後ろで「やめた方が良いよー」と苦笑しているが、強く止めようとする気配はない。アリエルは音を立てないよう細く扉を開けた。
 部屋の中ではレオナルドが床に敷いた布にチョークのような物で何かを描いていた。模様を描き終わると立ち上がり、手を山の方へ向ける。
 一拍の呼吸の後、描かれた模様が輝き始めた。山になっていた物たちが浮き上がり、光に包まれる。
 アリエルは目を見開いた。
「……魔法!?」
 やがて光は強烈さを増し、アリエルはこらえきれずに目をつぶった。
 光が収まったのを感じアリエルが目を開くと、麦わらも布も木材も消え、代わりにリネンのカバーの掛かったベッドとシンプルなチェストが部屋の中に現れた。
 アリエルはぽかんと目と口を開けたまま部屋に入った。
 扉の開く音にレオナルドが振り返る。
「見たな?」
 責めるように黒い瞳に睨まれて、アリエルは好奇心に負けたことをほんの少し後ろめたく感じた。
 クララも部屋に入ってくる。
「私は一応止めたのよー?」
「恐れながら、一応ではなく、きちんと止めていただきたかったです」
 レオナルドはふーっと息を吐くと、クララと入れ替わるように部屋から出て行った。
 その後ろ姿を見送ると、アリエルはへなへなとベッドに腰を下ろした。
 ふかふかと、麦わらの良い匂いが鼻についた。
「今更だけど、レオナルドさん黒髪黒目、なんだね」
 クララもアリエルの隣に座る。
「そうね。……アリエルちゃんはレオのこと、どう思ったかしら」
 この国では、黒髪黒目といえば魔女の証だ。普通の人ならばどんなに濃い色をしていても、絶対に黒ではない。真に黒髪黒目を持っている者は、必ず魔女なのである。
 魔女といえば、若さや美貌を保つために人肉を食らうだとか、魔法で人を意のままに操るだとか、鋭い牙や爪を持つ魔物を使役しているだとか、真偽不明の恐ろしいイメージが世間の人々には染みついている。
 レオナルドは魔女の特徴である黒髪黒目で、しかも魔法が使える。男ではあるが、魔女であることを疑う余地はなかった。
 アリエルはうーんと首をかしげ、窓の外に目をやった。昼下がりの五時通りを、のんびりと歩く人が目に入る。
「どう思ったかって言うと、ちょっと無愛想かな、とか、意外と優しいのかな、とかかな。魔法だって私のために使ってくれたんだし」
「初対面の時から気になっていたのだけど、もしかしてアリエルちゃんは魔女が怖くないの? 魔女を知らないって訳じゃないわよね」
 クララが重ねて静かに聞いてくる。
「もちろん魔女のことは知っているわ。でも、私は魔女に怖いことされたことないし、ちょっと便利なことができるだけの普通の人達なんじゃないの。世の中の人達がどう思っているかは知らないけど。それを言ったら、クララ。貴女だってどうなの? クララはレオさんに怯えているの?」
「……そうね。私もレオのことは怖くない」
 クララの声が寂しげに聞こえて、アリエルはクララの顔を見た。窓の方を向いてはいるが、目は悲しげに伏せられている。差し込む陽光が、クララのきれいな顔に濃い影を作っているようだ。
「世の中の人全員がそういう風に考えられたら、いいのだけれど……レオの近くにいる五時通りの人達でさえ、中にはレオを危険視する人もいる。だから、本当はもっと中心部で暮らせるくらい実力があるのに、レオはこんな町外れで暮らさないといけない。街の人達を安心させるためにね。アリエルちゃんみたいに言ってくれる人は貴重なんだ」
 すいと顔を上げ、クララはアリエルに視線を合わせた。
「アリエルちゃん、君にレオの助けになってあげてほしい」
「わかったわ」
 クララはその返事に満足したように、ぱっと笑顔になって立ち上がった。さきほど感じた影のようなものは、もう無い。
「それじゃ、私は一足先に下に行くわね。アリエルちゃんも荷物を片付けたら降りていらっしゃい。お昼にしましょう。私、おなかがすいてしまったわ」
 クララはひらひらと手を振りながら、ふわりとスカートをひるがえして部屋から出て行った。
 アリエルもベッドから立ち上がり、部屋の隅に置いてあった自分の鞄を開けた。
 元々家を飛び出すときにつかんできただけしか持ってきていないので、鞄の中身はあっさりチェストの中に収まった。引き出しにはまだまだ空きがある。ラジオはチェストの上に置いた。
 窓を見れば太陽は南中を少し通り過ぎている。もう一時くらいになってしまっただろうか。そういえば、時計を持ってこなかったなとアリエルはぼんやり思った。
 中身を移し、空になった鞄をパタンと閉じてベッドの下に押し込むと、アリエルは部屋を後にした。